第23回 脳の中の「快楽」センター
偶然の発見から
1953年、ハーバード大学で社会心理学を学んだ31歳のジェームズ・オールズは(兵役でブランクがあったのです)脳に興味を持ち、カナダのマッギル大学に留学しました。ラットの脳を微弱な電流で刺激すると学習能力がアップするのではないかと考えたのです。ところが、電極の位置が目標から外れていました。学習能力がアップするかわりに、脳を刺激されたラットは「刺激を好む」ような行動を示したのです。これを見逃さず、研究を続けたオールズらは脳の中に「仕事に対する報酬」のような働きをする神経系があることを突き止め、脳内報酬系と名付けました。
報酬系とは
人間の脳内報酬系は図に示すように中脳の腹側被蓋野を起点にして大脳辺縁系の側坐核を経て前頭前皮質に至る神経系です。脳内報酬系のニューロンはドーパミンという神経伝達物質を含んでいます。1960年代にはてんかんの治療中に人間の脳内報酬系を刺激する試みが行われたことがありました。すると人は「とても強い快感」を感じると報告したのです。その後の研究で脳内報酬系のドーパミンは快情動を仲立ちにして人や動物を行動に駆り立て、その意欲を強めていると考えられるようになりました。脳内報酬系は環境の中から生存に必要なもの(食物や繁殖の相手など)を見つけ、それに向かって体を動かすための神経系なのです。
アディクションとの関わり
覚せい剤や麻薬など、ある種の化学物質に人が魅せられ、そのとりこになって「アディクション」と呼ばれる状態になってしまう原因は何なのでしょう? 実はこうした化学物質の多くは脳内報酬系のドーパミン遊離を強く促進することがわかっています。たとえて言えば、これらの化学物質が脳に届くと、ふだんは節度を保って道路(脳内報酬系)を自動車(ドーパミン)が走っているところに、暴走車がやってきたようなものです。アディクションには複雑な心理的、社会的背景が関与していますが、生物学的な研究も大事で、新しい治療法もこうした研究から生まれます。
これからの課題
脳内報酬系は記憶、情動、意思決定などを司る他の神経系と連携して、人間や動物の行動を調節しています。私たちの学会には、神経科学のみならず薬理学、精神医学、内科学、法医学、公衆衛生学などの多くの領域から専門家が集まり、脳内報酬系のメカニズム、アディクションという病態やその治療などについて研究しています。そのためには神経科学、分子生物学、精神医学といった多くの研究分野との交流が必要です。動物の生存の鍵をにぎっており、それだけにコントロールを失うとおそろしいことにもなる脳内報酬系の働きに皆さんが興味を持っていただければ幸いです。
文責: 廣中直行
所属: 東京都医学総合研究所 依存性物質プロジェクト 客員研究員
所属学会: 日本アルコール・アディクション医学会