知ってなるほど!脳科学豆知識
脳科学豆知識一覧に戻る

第16回目 人は未来を予測できる?

第16回脳科学豆知識
飛んでくるボールをキャッチする。車を運転していて停止線でしっかりと止まる。立ったまま腕を前に挙げても転ばないでいられる。―どれも「そんなのできて当たり前だ」と思いますよね。でも実はこれらは私たちが未来を予測するという特殊な能力を持っているからできることなのです。

私たちが体を動かす時、脳から出された神経活動が脊髄や末梢の神経を通って筋肉に伝わることで体が動きます。この神経活動が神経を伝わる仕組みは電気(電子)が電線を通るのとは大きく違っていて、イオンチャネルというイオンを通す穴が開閉してイオンが神経の中に流入と流出を繰り返すことによって神経活動が徐々に伝わっていきます。そのため神経活動の伝達速度は思ったよりも遅く、脳から出発した神経活動が筋肉を動かし始めるまでに約20から50ミリ秒(ミリ秒は1000分の1秒)ほどの時間がかかり、また反対に手に物が触れてその感覚信号が脳に到達するまでもやはり同じく約20から50ミリ秒ほどの時間がかかります。つまり合計して手に物が触れてそれに応答するまで最低でも0.1秒ほどの時間がかかることになってしまいます。

「たったの0.1秒なんてなんの影響もないだろう」と思われるかも知れません。しかし私たち動物の生活において反応が0.1秒も遅れることはとても致命的なことです。例えば、ボールが自分の手が届くところに飛んで来てから手を動かしていてはボールを取り損ねてしまいますし、停止線に到達してからブレーキを踏んでいては停止線をオーバーしてしまいます。また、腕を前に挙げると腕の重さで体の重心が前に偏って体が前に倒れてしまいますが、体が倒れだしてから慌てて背中を反らしてもそのときには既に転んでしまっています。では私たちは一体どのようにこのような「のろま」な体でスムーズに動けるのでしょうか?

そこで活躍するのが私たちの持っている「未来を予測する能力」です。未来と言っても数十年後の将来が予言できるというわけではなく、ボールがどのような軌跡を描くのか、車がどれくらいで止まるのか、自分の体がどのように動くのかなど、これまで何度も経験したことが頭の中に蓄えられて、それによって自分の運動の結果を予測できるようになり、先回った運動ができるようになるのです。このような「環境や自分の体がどのように動くのか」という記憶は「内部モデル」と呼ばれるもので、おそらく脳の後ろ側にある小脳にあると言われています。ただこの内部モデルがどのように学習されているのか、またどのような運動や感覚の情報を受けているのかなどまだまだ多くのことがわかっていません。現在、様々な方法で神経の活動を記録したり操作したりする手法が開発されています。これらの方法を駆使することで、人が未来を予測している神経回路が明らかにできるようになるのもそう遠い「未来」では無いかもしれません。

文責: 武井 智彦
所属学会: 日本神経科学学会 日本生理学会
所属機関: 京都大学白眉センター/医学研究科