第24回 “エコ”でない神経細胞のかたち
顕微鏡によるコルク木片の観察から「細胞」を発見、命名した英国人フック(みたものは実は細胞そのものではなく、細胞壁でしたが)は、一つ一つのユニットのかたち、大きさが揃っていたことにさぞかし驚いただろうと思います。通常の細胞は丸く、大きさも十マイクロメートル程度と一様です。これはなぜでしょうか?
自然界で現象として大きさが揃う場合、その背後には相反する作用をもつ「冪のつりあい」が潜むことがしばしばです。例えば風呂場の天井から滴り落ちる水滴の大きさはよく揃っていますが、これは水滴が落ちる際の半球状の水滴の重さが水滴の径の三乗に比例し、水滴を天井に留めておく表面張力が水滴の周囲長(径の長さの三倍程度)に比例することから、理解できます。両者のつりあう、ちょうどポタリと水滴が落ちてくる際の大きさは、径の三乗と一乗のせめぎあいのつりあうところ付近で揃うはずです。細胞についても同様の推測が成り立ちます。細胞が生きていく上で、細胞内へものをとりいれたり、細胞外へ排出したりする代謝活動の大小や、それに付随して発生する熱の放出の多寡は、おおまかには細胞の体積に比例するでしょう。他方、そのやりとりのおこる場所は細胞膜で、これは細胞の表面積に比例するはずです。この場合は三乗と二乗のつりあいですが、代謝物のやりとりや熱の放出を考えると、細胞の大きさにはおのずから上限があることが、想像できます。また、細胞の中での物質輸送のエネルギーコストも考える必要があります。細胞が十分小さければエネルギーを必要としない、受動的な拡散に依存した輸送で事足りますが、細胞が大きくなったり突起をもったりすると、ふらふらせずに長い距離を素早く輸送するシステムが必要です。このシステムにはエネルギーコストがかかります。このような諸々の事情から、細胞にとってもっとも“エコ”なかたちは径十マイクロメートル程度の球形、ということになるのでしょう。
この観点からすると、神経細胞は極めて“エコ”でない形を呈します。まずサイズが数十マイクロメートル程度と大きく、多くは複数の突起を出し、その長さはヒトの場合、時にメートルスケールに及びます。このような特殊なかたちの細胞内で正常な代謝活動や細胞内輸送を維持するためには、エネルギーを使った特別な仕組みが必要になります。これが多数の神経細胞を含む脳という臓器が、ヒトの臓器の中で最もエネルギーを消費する背景です。ではなぜ、このようなコストをかけて尚、神経細胞は特殊な形態を呈する必要があるのでしょうか?その答えは、系統発生学的に古いイソギンチャク等の仲間を観察するとわかります。生物は外界から刺激や情報を取り入れて、これを処理し、続いて外界に何らかの出力を出して生命活動を営んでいますが、イソギンチャク位のサイズや複雑さになると、刺激の入力を担当する感覚細胞と、出力を担う筋細胞とが空間的に離れてきます。そうするとこの両者をつなぐ、仲介役の細胞が必要になってきます。これが神経系の萌芽です。ヒトの場合を考えれば、例えば山の中でクマに出会って逃げる場合、音は耳で、姿は目で、感知しますが、実際に身体を動かすのは耳や目からは離れた手足の筋肉です。それらは素早く連携して働く必要がありますが、そのための仲介役の細胞は、コストをかけても長い突起をもたざるを得ないでしょう。つまり、神経細胞は図体が大きな複雑な構成の生物になって、はじめて必要となる細胞である、ということになります。特殊なかたちの背後には何らかの理屈が潜んでいる、そういった例の一つといえるだろうと思います。
文責: 寺田純雄
所属: 東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科神経機能形態学分野
所属学会: 日本解剖学会、日本神経科学学会